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僕の初仕事は韓国旅行(続) 弁護士 山下 太郎
3日目
 3日目は、西大門監獄跡を見学した。西大門監獄は、日本人四天王数馬が考案・設計し、1907年に竣工した。有名な柳寛順を始め、韓国の独立運動に参加した多くの人々が日帝により収監されたとのことである。現在はその大部分が公園となっているが、入り口の高い塀と当時の獄舎の一部、そして処刑場は残っており、一般に公開されている。
 入り口の大きな門を入り、取調や拷問が行われていた旧保安課庁舎と獄舎を見学した後獄舎の裏手の道を歩いて、処刑場に向かった。この道は処刑場の前で二股に分かれており一方は処刑場へ、もう一方は家族や知人と会うための面会室へと続く。ガイドの方の話では、収監された人は処刑なのか面会なのかを告げられずに獄舎から連れ出されて獄吏とともにこの道を歩き、分かれ道で初めて自分がこれから処刑されるのかどうかを知ったのだそうである。
 処刑場は日本式木造の小さな建物だった。ここで処刑した後、死体は処刑場のすぐそばにある秘密通路から共同墓地に運ばれて、共同墓地にそのまま放置されたという。
 処刑された人々は、この処刑場の前に立ったとき、なにを思ったのだろう。やりたいこともあっただろうし、会いたかった人もいただろうに。そんなことを考えながら、私はその場に立ち尽くした。
 4日目
 最後の日は韓国の裁判所を見学した後、私たちは帰国の途に着いた。空港に向かうバスの中で、私はガイドの方に、旅行中ずっと気になっていたことについて尋ねた。「日帝」という言葉についてである。見学した施設の全てで、当時の日本のことを「日帝」と記していた。なぜ「日本」ではなく「日帝」なのか。
 ガイドの方の答えは明確であった。韓国を侵略したのは戦前の日本帝国だから。韓国の人は、日本帝国に侵略された歴史を歴史として記憶しながら、日本帝国ではない現在の日本との友好を望んでいる。だから日本とはいわずに「日帝」と呼ぶのだと。
 我々日本人は、このことの意味をよく考えなければならないと思う。この韓国の人々の気持ちを聞いて、韓国を侵略したのは今の日本人ではないから関係ないと考えてしまっては、いつまで経っても韓国の人々との本当の意味で友好的な関係は築けないだろう。このようなことを言うと、決まって「自虐史観はたくさんだ」などという人がいる。そういう人たちは、日本と韓国の歴史を棚に上げて、韓国との友好関係を築けると考えているのだろうか、それとも隣国である韓国の人々との友好関係を築きたくないのだろうか。

 日本人が韓国でなにをしてきたのか、それがどれほど韓国の人々を傷つけたのか。まずはきちんと知るところから始めるべきだと思った。

  P1(窪田) P2(山下2-1) P4(木村) P3
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