HOMEへ   2002年11月1日  
 
 
もっとも近い国「韓国 弁護士 窪田 之喜
 仁川国際空港は巨大で、しかも最新の技術をあつめた空港だろうと感じた。
 空港を出るとすぐに黄金色に収穫をまつばかりの田圃が広がっているのに気づいた。広々とした干潟のような一帯を越えていくとやはり田園風景が残っている。それが、20階建て前後の高い住宅建設が進んでいる風景と混在する。田園が急速に削られていく様子が一目瞭然である。古くからの農村風景も新興住宅地がひろがる様子も、日本に「似ている」と思う。4日間に韓国旅行の第一の印象は、近い、ということであった。
 まちの街路樹に銀杏が多かった。ソウルから高速道路で2時間、天安市の郊外に建つ独立記念館に着くまでの間でも、広々とした田圃のみのる姿があった。丘陵地は、くぬぎ、松、ニセアカシヤなど日本でも親しみある雑木林の風景であった。バゴダ公園でも、またどこに行ってもカリンが大きな実をつけていた。
 ソウルの景福宮内の博物館では、旧石器時代、新石器時代から高句麗・加耶・新羅の時代などの展示物をわずかな時間にちょっと眺めたのであるが、日本の歴史に先行しているようでわかりやすかった。7世紀前半の金銅三山冠半珈思惟像、10世紀の鉄造如来像にしばらく見入ってきた。仏像の顔に民族の特徴があることに気づき興味深かった。
 食事も違和感が無く、とくにまちの食堂で食べた骨付き牛肉と野菜を煮込んだ料理が最高だった。
 田圃も植生も食べものも、歴史の香りも、よく似ていて少しずつ違っていた。隣の国を肌で感じとった。
 今回の旅行は、日本の帝国主義支配の歴史を学ぶことを主としたプログラムであったが、中でも、今は資料館となっているソウル刑務所(写真左、→注)の見学がもっとも強い印象を残した。長い歴史、近現代の歴史、そして現在。長い歴史、近現代の歴史、そして現在。学びつつもっとも近い平和友好の関係を持ち続けたいものである。
注)正式名称は「西大門刑務所歴史館」。1910年の日本による韓国併合に先立つ2年前、1908年に京城監獄として建設された。以来1912年に西大門監獄、1923年に西大門刑務所、戦後はソウル刑務所、ソウル矯導所、ソウル拘置所と名前を変え、1987年にソウル拘置所が移転したのを契機に廃止された。1992年8月15日に西大門独立公園として生まれ変わり。建物は、6年後の1998年に歴史資料館としてオープンした。祖国独立のために投獄され、拷問と弾圧をうけた愛国列士の叫びが伝わる展示内容となっている。
  P2(山下2-1) P3(山下2-2) P4(木村) P1
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