←前のページ 次のページ→   2002年9月1日  

17年前、地元高校生の呼びかけを機に始まった「松代大本営地下壕」保存運動。その学習ツアーに参加しました。

1 是非、行ってみたかった「松代大本営地下壕」
 私にとって母親のような友人松清明さんは、「松代大本営地下壕を見てくるといいよ。篠ノ井旭高校の生徒たちの話を聞けば感動するよ。」と常々言っていた。彼女は、生協の熱心な活動家であり日野の平和運動のリーダーでもある。社会教育センターの学習ツアーで何回か沖縄に足を運び、そして松代大本営地下壕の見学も回を重ねている。彼女は、沖縄と松代の深い関係を知り、篠ノ井旭高校生と教師の活動に感動し、私にも是非行くようにとすすめてくれたのである。今回、是非、の思いが実現した。
●手をつなぐ会(教育と福祉に関心あるグループ)の学習ツアー(8/23~25)に参加
2 保存運動の経緯を聞く
 24日夜、民宿六文銭でまちづくりコンサルタント・松代大本営平和記念館建設実行委員会事務局長の小川久雄さんと篠ノ井旭高校郷土研究班顧問土屋光男先生の話を聞いた。1985年9月、篠ノ井旭高校生が、松代大本営跡の永久保存・公開と平和記念館、平和公園建設を呼びかけた。翌年、高校生の呼びかけに応えて市民による「松代大本営の保存をすすめる会」も結成され、その後、高校生たちと市民のねばり強い継続的運動が進んでいる。代大本営は象山、皆神山、等いくつかの壕で構成されるが、1990年、もっとも大きな象山地下壕の一部が長野市によって保存・公開され、既に120万人を越える見学者が訪れている。
 現在、平和記念館の建設は、大本営地下壕が国の1級史跡指定の可能性が高まっていることと昨年4月26日の田中康夫県知事(この訪問中も9月1日投票・長野県知事選挙がたたかわれている)の地下壕視察を機に、現実性が高まっていると言う報告であった。ただし、平和記念館の建設とその内容、市民による建設運動との関係は、まだまだたくさんの課題をはらみ予断を許さない状況にある。 
 小小川さんたちの市民運動は、地元のまちづくりと一体となった平和記念館の実現、戦争を体験し大本営の建設にもかかわった人も調査研究に協力してくれるような新しい信頼関係を土台とした平和記念館の実現、をめざしている。土屋先生も、強制連行された朝鮮人(7000人)に対する加害の歴史であると同時に、軍人に加えて学徒、生徒、児童、女性など3000人の日本人への強制的労働の歴史でもあり、また、共通の犠牲者であった朝鮮人強制労働従事者と現地日本人の人間的交流の姿も見られた歴史でもあった。総じて、弱者を犠牲にする戦争の本質を示す歴史遺産と理解すべきではないかと話された。
3 地下壕を見る
 土屋先生の話のとおり、翌実25日朝10時(5分前に)、佐久間象山をまつった象山神社前に飯野勉さんが来て地下壕の案内をしてくれた。篠ノ井旭高校強度研究班OB、25歳。明るい笑顔、やや低音のやわらかい声。説明は明快である。1985年以来の多くのOBが引き続いて参加しているという。力強さを感じた。
 飯野さんは、地下壕の入口事務所に保管してもらっている地下壕の作業断面図など大きな説明資料をもって、早速、壕に案内してくれた。15度位の定温で、とても涼しい。
何故、大本営が松代移転と決まったのか。説明はそこからスタートした。
 日本海・太平洋の両海から遠く海からの攻撃が難しく、山々に囲まれ空からの攻撃も難しい地の利。堅い岩盤で地下壕を掘りやすく爆弾攻撃に耐えられる。信州の人々の人情と信州は神州に通じ皆神山(地下壕の掘られた山の一つ)の名も縁起良く、遠く川中島古戦場というのも決戦にのぞむにふさわしい。
 壕の入り口から約170メートル位か(縮尺付きの図ではかる)。メインの壕の中間地点での説明。ここには既に家ができつつあったという。ダイナマイトを詰めて爆破しつつ掘り進む、その削岩機のロッド(約70p)が突き刺さったまま残っているのがみえる。 
 公開されている壕は、入り口から約250メートル・3つめの交差点で左折し、さらに200メートルくらい進むことができた。途中、20メート位の間隔でメイン壕に平行に走る縦の壕と交差する。これらの縦の壕にはトロッコの枕木跡がしっかりと残っている。途中、縦の壕の奥にあるという落書の写真が置かれ説明があった。一つは頭に台形の帽子のようなものをつけた人の顔。朝鮮の死者を弔う姿と言う。もう一つは「大邱府」と書かれている。故郷まちテグ府を思って書いたものではないかとの説明であった。
 削岩機で穴をあけダイナマイトを詰め爆破する。ズリをトロッコで運び出す。落盤防止の柵構を造って進む。壕を掘る3つの作業である。ダイナマイト事故で身体をバラバラに飛ばされ頭が上の岩盤に突きささってていた事故、爆破の粉塵がおさまらない中で作業に従事していた人たちのジン肺。こうした危険な作業は、強制連行されてきた朝鮮人従事者が全てやらされていた。2交代制で後には昼夜3交代制のだった。そうした事実をふまえて、飯野氏は加害の歴史だったことを強く訴えた。私たちとは別の見学グループも次々に訪れていたが、それぞれのガイドの話は、やはり加害の歴史を正確に話していたようだ。ガイドの中には、「高校生のみなさんの調査で分かったこと」だと付け加える方もいるという。
1時間余の要点をふまえた飯野さん説明は、壕の中での実感も加わってとてもよく理解できた。
4 松代にこだわって17年
 このタイトルをつけたパンフレットが、今年7月篠ノ井旭高校郷土研究班から発行された。最近2年間の活動報告集であるが、1985年以来の活動年表がついている。象山壕の調査からはじまり、皆神山壕調査、松代だけでなく他地域・他県に及ぶ壕などの調査、多数の証人の聞き取り調査、韓国研究者との交流調査、韓国高校生中学生との相互訪問交流、地域での他校との共同調査、長く続く象山壕周辺のボランティア清掃、多数の全国各地からの見学者にたいするボランティア説明、IOCサマランチ会長への訴えと返書受領、田中知事への訴えと視察の実現、等々。この年表を見るだけで、なんと粘り強い地に足着いた調査研究・訴え活動であるかと感嘆する。
 既に、見学者数は120万人を越えたという。
 土屋光男先生からいただいたレジメが「高校生は世界史を創る」と結ばれ、「ひょっとしたらおれ達、世界史を創っているのかな」という高校生の言葉が引用されている。私は共感し納得してこの言葉を受けとめた。謙虚で持続的な実践があるからだと思う。
みなさんありがとう。

↑Page Top
 →このサイトについて