←前のページ 次のページ→   2002年10月1日  
ニュース余談 ★前号の木村弁護士のテーマを受けて 

今、なぜ「地方自治の確立」か その2

 弁護士 窪田 之喜 
激励のご返事代わりに
 先日、依頼者の1人の方から「ホームページを読みました。いっぱい書いてありますね。」と好意的な言葉を聞かせてもらった。また、もう10年位前の依頼者からホームページを通して相談申込みをいただいて喜んでしまった。残暑見舞いというちょっとずれた季節のご挨拶でホームページ開設をお知らせしたところ、早速反応をいただいたということである。これに励まされて、なぜ「地方自治の確立」か、前月の木村弁護士の続きを一言書こうと決めた。
参加する民主主義は、人々が生きる地域から
 人が「生きる」場である市町村から「生きる」ための政治を考える、と木村さんは言う。私も全く同感である。生活する場でこそはじめて、一人一人の市民が自らの意思で参加する民主主義を実現できるのだと思う。
 今、時代は大混迷期を迎えている。世界、とりわけ日本は。例えば日本の人口は、2050年までに2700万人減って1億人になると予測されている。現在、日本では1人の女性が生涯に生む子供の人数は、1.3人ほどである(2.08人で人口が維持される)。 極端な少子社会になっている。それでも、その少なくなっている乳幼児が、保育園に入れなくてたくさん入園を待たされている現実がある。日野市でも何百人と待たされている。これでは、益々子育ては不安なものになり、若い世代は安心して子供を生み育てることができなくなる。今すぐ解決を迫られているこの大問題に抜本的に対応できずに、他方では、戦争のできる「普通の国」にする、有事立法をつくるなどと言っている。時代をみていないこんな政治は根本的に打ち直されなければならない。
まちで議論しまちから考え、自分たちで方策をつくる
 「○○ちゃん、○○くん、が保育園には入れるようにするにはどうするか。」「○○○人の待機児をなくす政策をどうするか。」、具体的にまちで議論し、まちから方策を考えていく、ここが基本ではないかと思う。
 介護保険が施行され高齢者施設もたくさんでき、ホームヘルプサービスを中心にした在宅高齢者施策もすすんできたことも否定できない。しかし、問題は山積している。例えば、いくつかの高齢者施設の見学する機会があったが、共通する問題は、どこの特養ホームも部屋が小さすぎる。その根拠は、厚生省のつくる基準が貧困だからである。現状では、高齢者施設に入所する際には、慣れ親しんだ家具も什器も絵画や写真や思い出をみんな捨てなければならない。快適な新住居にはなりえない。北欧の高齢者福祉とはえらい違いである。
 教育をみると。文部省、都道府県教育委員会、市町村教育委員会の縦系列で指令をし、校長が末端職制として教師を監視し査定し、日の丸・君が代を強制し、入学式や卒業式のやり方まで統制する。こんな管理統制下では、「自由な精神をもった豊かなこども」を育てることができるであろうか。教師たちが子どもたちのことよりも校長・教委の指令を気にしなければならないようでは、本当の教育は存在しえない。私は、日本の未来のために、今こそ「学校に自治を」といいたい。
 保育、教育、障害者福祉や高齢者福祉も、法律では大枠をあらわし、具体的政策は大いにまちの創意工夫で実現していく。それが基本であり、それを保障するのは地方自治だ、と思う。
 中央の権力者たちがおごりと利権につながる絶対的な権力をすて、生活に根ざした民主主義・地方自治を確立し、それを基本にした新しい国造りをめざす。ここにこそ、今、日本改革の方向があると思う。
日本国憲法は、どうなっているのでしょうか、次回に。

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