←前のぺ^ジ 次のページ→   2002年9月1日  
ニュース余談 ★僕が地方自治の確立を看板にしている事務所にいるわけ、 

今、なぜ「地方自治の確立」か

 弁護士 木村 真実 
「地方自治の確立」という看板に惹かれて
 わが日野市民法律事務所の事務所の紹介の中に「地方自治の確立」を求める事務所だとあります。僕は、「平和と民主主義」とか「憲法を生かし」とか「すべての人々の幸せを求めて歩み」などはいろいろなところで耳にしてきましたが、「地方自治の確立」を求める法律事務所というのは日野市民法律事務所に出会うまでは聞いたことがなく、そしてこの言葉が僕が日野市民法律事務所の弁護士になりたいと思った理由の1つでした。
 これからどうして僕が「地方自治の確立」に惹かれたか、を書きますが、これは僕個人の考えであり、事務所の公式な意見(と言うものがあるとすれば)でないことをお断りしておきます。
平和問題は日々の生活と結びついている
 僕は、子どものころからなぜか「平和」の問題に興味があり、中学生のときに自由研究で「自衛隊」を取り上げ、高校生のときに「なぜ戦争が起きるか」の発表をし、大学生の時には「平和学」を専門とする教授のゼミに参加しました。どれも勉強としては中途半端で、だからこそ、今平和学の研究者になっていないわけですが、平和の問題を考えるうちに自分なりに1つの結論に到達しました。
 それは、平和の問題は、日々の生活と結びついているということです。
それまで、軍産学複合体や米ソの核戦略についても少しずつかじりましたが、それらが戦争の原因のひとつであることは理解できても、「こうすれば戦争はなくなる」というみちすじは見えてきませんでした。そこで自分なりに考えたのは、戦争を体験したことがない僕たちが、「平和な暮らし」のなかで「戦争のつらさ」を想像することによって「一人一人が戦争は嫌だ」と感じることでしか戦争はなくならないのではないか、ということでした。そして「感じる」ことは、「生きる」ことの中からしか生まれてこないのではないか、「生きる」ことを感じるためには、霞ヶ関で数字を分析するのではなく、まちで生活しながらひとびとの話をじかに聞く必要があると思ったのです。
 こんなふうに考えてきて、今まで理屈にかたよりすぎていた自分を反省し、「買い物に行く」「料理をする」「掃除をする」「洗濯をする」ということにこだわり始めました(ちっとも上達しませんでしたが)。
 そして、「生きる」場である市町村から「生きる」ための政治を考えることがいいと思うようになったのです。
かかわりやすさ、自治権の行使
 地方自治にこだわる理由はもう一つあります。
それは、僕が「人間は自由だ」というところから出発して「権力は必要悪だ」と思うということです。
 人間は、本来自由だと思います。だから自由を制限する理由は「君がその自由を行使するとみんなが迷惑をこうむるから」でしかあり得ません。ほかの人の自由のためにある人の自由を制限するのであり、人が助け合うのは「その方が自分の自由が確保できるから」なのだと思うのです。
 とすると、「○○はやってはいけない」「みんなのお金で××を作る」などと決めるのは、それに反対する人の自由を制限する可能性があり、多くの賛成した人が後から見れば間違っている可能性があります。
 だから、このようなことを決めて反対する人のそれを強制する「権力」は、僕の意見が反映しやすい僕の近くにある方がいいのです。遠くで決められたら、反対する僕が身の回りの人を説得して反対派を作っても、遠くの人たちの賛成をひっくり返せないからです。
 理屈に片寄りすぎていた自分を反省したはずなのに理屈っぽくなったので、今日はこれまでにしますが、僕はこんなふうな理由から「地方自治の確立」を求める日野市民法律事務所の弁護士になりたいと思ったのでした。

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