←前のページ 次のページ→   2006年6月1日  
●その4
弁護士 山下太郎
●「高校時代の思い出 」
 私の通っていた高校の先生に変わった人がいた。社会科の先生だったのだが,授業では私の記憶している限り一度も教科書を使わなかった。代わりによく使ったのは,いくつかの新聞記事だった。その先生は同じ出来事についての複数の新聞記事を私たちに読ませて,感想を書かせ,先生を交えたみんなで議論するということをしていた。私はその先生から,一つの出来事でもいろいろな見方考え方があること,いろいろな見方考え方のうちどれかが「正解」というものはないこと,結局はどの見方に与するのかは自分で読んで,自分で考えて,意見の違う人と議論をして,最後は自分で決めるしかないことを教えてもらった。
 もちろん,自分の最初に考えたことがいつも正しいとは限らない。むしろ人と議論をし,人の話を聞いて,最初の自分の考えが変わっていくことも多かった。しかしそれは,みんながそれぞれ自分で考えて,意見のちがう人と議論することで初めて起きることである。「正しい」考え方を権力を持った者が押しつけて,それに従っていれば正しい結果がいつでも保証されるというならそれもいいのかもしれない。けれど,その「正しい」考え方が実は間違っていたとしたら,議論もできないままで誰がどうやってそれを正すのだろうか。「愛すべき国家」が誤った方向に進もうとしたとき,国の愛し方を一つしか教えてもらわなかった人が,「愛すべき国家」の誤りに気づき,異を唱えることができるのだろうか。
 5月24日,教育基本法改正法案の衆議院特別委員会での審議が始まった。この「愛すべき国」の行く末が決まろうとしている。

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