←前のページ 次のページ→   2003年12月3日  
●連載その3
弁護士 山下 太郎
聞き語り「弁護士-飯塚和夫」
●教員の勤務評定反対闘争に連帯し、職場で集会
 飯塚が学生(もっとも休学していたが)兼立川基地の労働者であったころ,教員の勤務評定反対の闘争が勃発した。60年安保闘争の前哨戦であったこの闘争は、瞬く間に全国的規模の労働闘争に発展し、労働運動の急先鋒である飯塚も、当然この闘争に参加することとなった。
 教員のストライキと労組による抗議集会が全国各地で行われた。飯塚の全駐労立川支部も、その一環として,基地内において昼休みに傘下の全40箇所の職場で一斉に抗議集会を開催することとした。
●APに銃口を突きつけられ、集会の解散を命じられても
 集会当日,飯塚もその一つである200人規模の集会に、責任者として参加した。飯塚は、集まった労働者に対し勤務評定反対の持つ意味を説明した。労働者が聞き入っていたその時、一台の米軍ジープが集会場脇に乗り付けた。そして、中から数人の若いAP(Air Police)が降りて来るや,突然飯塚にカービン銃を突きつけ、集会を解散するよう一方的に命令した。米軍は、飯塚達労働運動の動きに対し、徹底した弾圧に出たのである。
 もちろん,そんなことで黙って集会を解散させるような飯塚ではない。飯塚は,「休憩時間は労働者が自由に使える時間であると法律に規定されている。今まで何十年も何のトラブルもなく行われていた昼休み中の組合活動を中止させる権限など,あなた達にはないはずだ。」と,カービン銃を突きつけたAPに対し堂々主張したのであった。集会参加者からも「そうだ!そうだ!」という叫び声が沸き上がり,会場はにわかに騒然となった。
 その間も,飯塚は,自分と対峙していた若いAPが,目を血走らせ,カービン銃を構えた手もわなわなと震える様子を見ていた。飯塚は,このとき本気で死を覚悟したそうだ。
●とうとう連行されるが、抗議に押し寄せた数千の労働者の力で釈放
 結局飯塚他数名がAPに逮捕され連行された。これを見ていた全駐労立川支部の代表者が、多摩川の日野橋脇広場で行われていた三多摩労協の勤務評定反対抗議集会に赴き、飯塚達が米軍に逮捕されたことを報告し、釈放闘争に立ち上がって欲しいと訴えた。三多摩労協の集会は直ちに釈放せよとの決議をし、参加していた数千人の労働者は大挙して労管(米軍が日本人と雇用契約をしている機関)に押し掛けた。
 これを見た労管の所長が仰天し,直ちに飯塚達を釈放するよう立川基地に要請したこともあり、飯塚達はその日のうちに釈放となった。

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