←前のページ 次のページ→   2003年7月1日  
有事法制・憲法・いのち ●番外編
日本が有事法制を持つ国になった。有事法制が日本国内が戦争状態になることを予定したものであり、日本国民に戦争への協力を求めるものであり、そして私が日本に住む日本国民である以上、戦争はまさに「私」の問題になった。 
 私は、人に殺されるのはいやだし、人を殺すのもいやだ。私が有事法制に反対するのは、日本国内が戦争になり、日本国民が戦争への参加をせざるを得なくなったら、私が人を殺すか私が人に殺されるかする可能性が今よりうんと高まるからだ。
 有事法制に反対する一番の理由に憲法違反だということをあげる人がいる。憲法は戦争を予定していないのであり、有事法制は憲法に反している。憲法に反している法律は無効である。でも、憲法が変えられたら有事法制はいいのか。
 世界の随所で戦争が行われていることは現実である。しかし、憲法を定めた人たちはその現実とかけ離れた「殺すことも殺されることもない社会」という理想を掲げ、そこに向かって進むべきことを求めることによって現実を変えようとした。憲法が変わろうと、この無謀とも言える試みが気高い理想であることは変わらない。
 戦争ができるように準備することが「殺すことも殺されることもない社会」から遠ざかる方向であることに間違いない。イラク戦争でアメリカの人がどれほど多くのイラクの人を殺したか。戦争をしなければアメリカ人だって1人も死ななくて済んだではないか。
 それでも戦争の準備をするのは、命より大切なものがあると誤信しているからではないか。暮らしというレベルでは当たり前の「人に殺されるのはいやだし、人を殺すのもいやだ」という気持ちを、突然国というレベルに「格上げ」してしまうことによって見失ってしまうからではないか。
 今私たちに求められているものは、まずは自分が「人に殺されるのはいやだし、人を殺すのもいやだ」ということを確認し、次に自分たちが暮らすまちから「殺すことも殺されることもない社会」づくりをはじめることではないか。
 敗北感の中で、生まれて2ヶ月になる子どもの顔を見ながらそんなことを考えた。

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