←前のページ 次のページ→   2003年6月1日  
●連載その12(最終回)
 1年前にこのタイトルで文章を書き始めたときのコンセプトは「『なぜ悪い人の弁護をするのか』を中学生にわかるように考える」ということでした。  
 この間、僕が刑事弁護をしながら考えてきたことをいろいろと書いてきましたが、振り返ってみると、やはり中学生にわかるように書けたとは思えません。わかりやすく説明できないのは、自分が本当にわかっていないからかも知れません。
 それでも僕が中学生にわかって欲しいのは、自分の経験や考えだけで人を裁いてしまわないで欲しいということです。僕自身がそうなのですが、ものごとが少しわかってくると、全部がわかったような気になることがあります。でも、ひとりの人間の経験できることなんかたかが知れています。僕は警察に逮捕されたこともありませんし、ましてやってもいないことで警察に疑われたこともありません。けんかで大けがをさせられたこともありませんし、まして自分の子供が殺されたこともありません。そうしたことを全部経験するのは、ひとりの人間にはないことですが、刑事事件に関わる人は、こうしたことをされた人の気持ちを考えないわけにはいきません。そして、反省の仕方や悲しみの感じ方は人それぞれです。「自分ならこう感じるだろう」と考えるとともに「この人は自分と違ってこう感じているようだ」と考える必要もあります。そういう人の感じ方を考える努力を重ねていくことは、弁護士や検察官、そして裁判官に必要なだけではなく、犯罪の起こる社会に住んでいる人には必要なことのように思うのです。悪い人の弁護をするのは、その人なりに考えたことを裁判所や社会にわかってもらうためだとも思います。
 そんなことを考えながら、でも「悪いことをやって捕まっているくせにあの態度は許せん」などと思いながら、今日も警察署に通って捕まった人の話を聞いてます。
 テレビのニュースに写る刑事事件の法廷を見たら、「被告人はどうしてこんなことをしてしまったんだろう」「被害者の人はどう考えているんだろう」等と考えてもらえればうれしいです。

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